世田谷の豆知識・雑学
世田谷ガイドでの公式Twitterで毎週1回配信している「世田谷の豆知識」。世田谷のちょっとした雑学や面白い豆知識を色々と紹介しています。
ここでは、Twitterで配信した内容を加筆・編集して一覧で紹介しています。
※内容は基本的にはツイート時点のものとなりますため、データ等は古い場合もございます。
目次
世田谷区に関する豆地域・雑学
地域風景資産
世田谷区の地域風景資産は、地域の人々の心に共有され、誇りと愛着を持たれているような大切な風景を、守り、育て、つくることを目的に、世田谷区風景づくり条例に基づき選定されたものです。
2002年度(平成14年度)の第1回で36件、2007年度(平成19年度)の第2回で30件、2013年度(平成25年度)の第3回で20件が選定されており、合計86件が選ばれています。
世田谷名木百選
世田谷名木百選は、1986年度(昭和61年度)に148本を名木百選として選定しました。
その後時代の変遷で倒木や枯死したものもあり、2020年(令和2年)に2回目の選定が行われました。区民から215件の応募があり、世田谷名木百選選定委員会での調査・検討により、 既存名木95件と新名木55件の計150件が選定されました。
せたがや百景
せたがや百景は、1984年(昭和59年)に選定されました。区民に世田谷の風景に関心を持ってもらうことが目的でした。
まず区民による推薦投票で400景を選出、その中から選定委員会が200景を選び、さらに区民投票で多い順に100景を選定しました。
選定から40年近くたっているため、現在では大きく風景が変わったものもあります。
世田谷みやげ
世田谷みやげは、世田谷にゆかりがあるお店や逸品を募集して指定しているもので、2006年に開始されました。
17年目の2022年は16の商品が新たに選定され、106の商品が選ばれています。常設販売店は小田急OXの8店舗、クイーンズ伊勢丹の6店舗、東急ストアの9店舗、世田谷産業プラザにある喫茶JOYとなります。
世田谷へのふるさとの納税の返礼品にも使われています。
世田谷ナンバー
世田谷区のご当地ナンバー「世田谷ナンバー」は、2014年(平成26年)11月17日から導入されました。
それまでは「品川ナンバー」だったものの、この日以降に、区内に使用の本拠がある自動車と排気量126cc以上の自動二輪を登録すると世田谷ナンバーとなりました。
世田谷区の紋章
世田谷区の面積は、かつて東京23区では最大でした。
1992年に羽田空港が完成したことで、大田区の面積が世田谷区を上回り、現在では23区2位の面積となっています。なお大田区の面積のうち1/3は羽田空港が占めます。
区の面積は、かつては58.08平方キロでしたが、国土地理院の計測方法が高精度な「電子国土基本図」に変更となったことで、2015年に58.05平方キロとなりました。
世田谷区の面積
1956年に制定された「世田谷区の紋章」は、一般からの募集で制定されたものです。
外輪の円は「区内の平和」を表し、中のマークは世田谷の「世」が三方に広がったイメージで、「人々の協力と区の発展」を意味しています。
世田谷区の歴史に関する豆知識・雑学
世田谷区で出土した土器
世田谷区内で発見された最古の土器は、現在の区立羽根木公園に位置する根津山遺跡から出土したもので、約1万数千年前の縄文時代草創期前半のものです。
区内で出土した縄文時代草創期の土器は、この根津山遺跡から出土した5点のみだけです。
世田谷区最古の遺跡
世田谷区内で発見された最古の遺跡は、約3万5,000年前のものです。
国分寺崖線沿いで発見されたもので、嘉留多(かるた)(成城)、堂ヶ谷戸(どうがやと)(岡本)、下山、瀬田(いずれも瀬田)の4遺跡が該当します。
最古級の石器はナイフ型石器となり、他にも多数の石器が出土しています。
世田谷城主・吉良氏
室町から戦国時代の世田谷の領主で、世田谷城の城主だった吉良氏は、三河の吉良氏から分かれた奥州(武蔵)吉良氏です。
江戸時代には蒔田氏を名乗りましたが、忠臣蔵の赤穂事件で三河吉良氏が断絶したため吉良姓に復帰しています。
桜にある勝光院が菩提寺となっており、代々当主の墓もここに残ります。
世田谷区の形成
2022年は、世田谷区制施行90周年の年でした。
1932年の世田谷区誕生時に区域だったのは、当時の荏原郡の世田ヶ谷町、駒沢町、玉川村、松沢村の4町村です。区誕生から4年後の1936年に当時の北多摩郡の砧村と千歳村が区に編入され、現在の区域が形成されました。
世田谷区の都道府県変遷
明治になり、世田谷の旧幕府支配地は武蔵県、続いて品川県となり、その後の廃藩置県で、これらは新生東京府となりました。幕府支配地以外にも一部にあった旗本領と寺社領もほとんどが同様の変遷となっており、一部の寺社領が新制東京府となった後に、神奈川県に組み込まれています。
一方旧彦根藩領は、廃藩置県で彦根県となり、続いて統合により長浜県となった後、その後一部が東京府、一部が神奈川県に移管されました。
神奈川県に組み込まれていた地域は、明治26年の三多摩東京編入により、東京府へと編入されています。
世田谷区の文化財に関する豆知識・雑学
なぞなぞウォーキング
世田谷区教育委員会では、区の歴史や文化を物語る貴重な文化財を、楽しみながら巡れるガイド「なぞなぞウォーキング」を刊行しています。
文化財を守り伝えるために行われていたまち歩きとワークショップの「せたがや歴史文化物語」から生まれたもので、これまでに4冊発行されてます(2023年1月現在)。
世田谷区の地形・土地に関する豆知識・雑学
世田谷区の活断層
世田谷区の活断層は、東京都の活断層分布によると、区部には確認されていません。
ただ区によるとこれは活断層がないのではなく、わからない状況といいます。
区の地層は、数万年、数十万年、数百万年にわたって土砂が堆積し、また、市街地を形成するために地表面を切ったり、盛ったりして元の地盤がはっきりしないなどのため、活断層があったとしても発見することが困難になっているそうです。
世田谷区の農地・農家
世田谷区の農地面積は約79ヘクタールです。
東京23区では、練馬区の193ヘクタールに次いで2位の広さとなります。農家の数は300(2021年)と、こちらも練馬区に次いで2位となり、23区全体の約25%を占めています。
農家の数はこの10年で約100件減少しています。
世田谷区の土地利用
世田谷区の土地利用のうち、約67%が宅地です。
宅地は公共系、商業系、住宅系に分かれていますが、住宅系は区内全体の約50%を占めます。住宅系のうち、マンションなどの集合住宅が約4割、一戸建などの専用住宅が約6割となります。
住宅以外の土地利用では、交通系(道路)が最も多くを占め、区全体の約17%となります。公園系は区全体の約6%となっています。
世田谷区の気象に関する豆知識・雑学
世田谷区の最高降雨量
世田谷区内には、気象庁の世田谷観測所(アメダス)が設置されており、降雨量を観測しています。
世田谷観測所で観測された、1日としての観測史上最高降雨量は、2019年10月12日に記録した253.5mmです。この時は台風19号による大雨により、区内では多摩川が氾濫し、一部損壊90棟、床上浸水372棟、床下浸水42棟などの大きな被害が出ました。
また同じ日には、奥多摩にある小河内で556.0mmを観測するなど、都内の多くのアメダス観測所でも観測史上1位を記録しています。
世田谷区の人口に関する豆地域・雑学
世田谷区の人口推移
世田谷区の人口は、区成立直前の1930年(昭和5年)は約14.9万人でしたが、区誕生後は第2次世界大戦期を除き増加してきました。
1975年(昭和50年)には80万人を突破しましたが、このころから停滞し、バブル期には減少に転じました。
その後は1995年(平成7年)の約76.2万人を底に再び増加に転じて90万人を突破しましたが、コロナ禍により2022年(令和4年)は27年ぶりに減少しました。
世田谷区の公園に関する豆知識・雑学
世田谷区立公園の数・面積
世田谷区内には、一般的な公園である「区立都市公園」が435箇所、「世田谷区立身近な広場条例」に基づく「身近な広場」が125箇所存在します(2022年)。
2010年から2022年の間で、都市公園は61箇所増加し、身近な広場は6箇所減少しています。
面積合計は都市公園が162万7,742平方メートル、身近な広場が12万8,131平方メートル、合わせて175万5,873平方メートルとなっています。
世田谷区の交通に関する豆地域・雑学
せたがやふれんどバス
せたがやふれんどバスは、「ひまわり荘」「大蔵第二運動場」「千歳温水プール」「せたがや がやがや館」を目的地として運行されている無料送迎バスです。60歳以上(ひまわり荘を除く)と付き添いの人が利用できます。
世田谷区の表記がある青色模様のマイクロバス4台で運行されており、区内に46箇所の停留所があります。
世田谷区のバス路線
世田谷区内を走る路線バスは、都営バス、東急バス、小田急バス、京王バス、関東バスの5社で、計85の路線が走っています(2023年1月現在)。
最も路線が多いのは東急バスで、49路線(小田急バスとの共同2路線含む)と区内路線の半数以上は東急バスです。
最も少ないのは都営バスで1路線のみとなります。
タマリバーバス
東急バスの「タマリバーバス(等01・玉堤循環路線)」は、等々力駅前の玉川総合支所前から、玉堤・等々力地区を通り、尾山台駅までを循環するコミュニティバスです。
1998年10月に住民の要望により運行が始まり、名称は一般公募で付けられました。
世田谷区最初の鉄道
世田谷に鉄道が通ったのは、明治40(1907)年に玉川電気鉄道が渋谷~玉川間を開通させた時です。
当時は「鉄道」ではなく、道路上に敷設する「軌道」に分類される、小型・低速の路線でした。
大正12(1923)年に目黒~奥沢を開通した目黒蒲田電鉄が、専用の敷地に線路を敷設する区内初の「鉄道」となりました。
世田谷区の学校に関する豆地域・雑学
世田谷区から移転した大学
世田谷区内には現在も多くの大学キャンパスがありますが、一方でかつてキャンパスがありながら移転した大学もあります。
1991年には東京都立大学の深沢キャンパスが南大沢へ、1998年には明治薬科大学の世田谷キャンパスが清瀬に、1990年には昭和薬科大学が町田に、2003年には青山学院大学の世田谷キャンパスが相模原にそれぞれ移転しました。跡地はその後、いずれも大型マンションとなっています。
なお、日本大学の三軒茶屋キャンパスは、かつて同大学の農獣医学部(後の生物資源科学部)があったものの1996年に移転。その後しばらくたってから、創立130周年記念事業の柱として、2016年に危機管理学部とスポーツ科学部が設置されています。
世田谷区の小学校
世田谷区内には公立・私立あわせて70の小学校があります(数値は令和5年度、東京都統計より)。
23区では、令和4年度では江戸川区と並び最多でしたが、翌年度には江戸川区で公立小学校が3校減少したため、単独で最多の数となっています。小学校の児童数4万2,971人と、こちらも23区最多です。
私立の小学校は8校あり、23区最多の数であると共に、23区全体の1/4近くを占めます。私立小学生の児童数は4,058人と、2位の渋谷区の約2倍の数となっています。
世田谷区の中学校
世田谷区内には国立・公立・私立あわせて52の中学校があり、23区では最多(数値は令和5年度、東京都統計より)。2位は練馬区の39校です。生徒数も2万1,525人と23区では最多であり、唯一の2万人超えとなります。
私立の中学校は21校あり、こちらも23区最多。生徒数は9,197人で、区内中学生の4割以上が私立に通っています。中高一貫の教育を行う学校は14校あり、東京都内137校の約1割を占めています。
世田谷区の郵便に関する豆地域・雑学
世田谷区の郵便局
世田谷区内の郵便局は78箇所あり、東京23区では最も多い数です(2023年6月現在)。
うち、駐車場を併設しているのは16局です。
郵便局の店舗以外で、ゆうちょ銀行のATMだけ設置されているのは31箇所あり、多くはファミリーマート内のATMとなります。他には、駅構内やスーパーのサミット、東京農大などにも設置されています。
ゆうゆう窓口がある郵便局は、千歳郵、世田谷、成城、玉川の4局となります。
世田谷区の建築に関する豆地域・雑学
世田谷区の隈研吾建築
新国立競技場の建築家として知られる隈研吾氏の建築物は、世田谷区内にも複数あります。
よく知られる「M2ビル(現東京メモリードホール)」や、東京農業大学の「『食と農』の博物館」の他、隈研吾建築都市設計事務所の実績としては、「玉川高島屋マロニエ・コート」「玉川高島屋S・C本館ファサード改修」「成城木下病院」「下北沢 てっちゃん」などが紹介されています。
デザインマンホール蓋とマンホールカード
祖師ヶ谷大蔵駅近隣には、東京都産業労働局による「アニメ関連観光情報等発信事業」の一環として、2020年2月にウルトラマンを活用した「デザインマンホール蓋」が設置されています。
設置場所は5箇所で、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「カネゴン」「アントラー」「バルタン星人」が設置されています。
またウルトラマンがデザインされた「マンホールカード」は、三軒茶屋観光案内所で配布されています。
世田谷区の図書館に関する豆地域・雑学
世田谷区の図書館登録数
世田谷区立図書館のうち、登録者数が最も多いのは中央図書館で3万4,849人(数字は2023年3月31日現在)です。以下、経堂が2万4,722人、砧が2万4,330人と続きます。
区立図書館の登録者数は近年減少傾向が続き、この5年間で約1.5万人減少し、図書室や図書カウンターも含めて26万2,347人となっています。