区内唯一の歴史公園
世田谷城阯公園は、1919(大正8)年10月に東京市(当時)の史跡に指定されていた世田谷城阯を、1940年4月に東京市が整備して開園した公園で、1950年10月に区へ移管され、現在は区立公園となっています。区内では唯一の歴史公園であり、世田谷城跡は1952年に東京都の旧跡に指定されています。
面積は3,835平方メートルと、北沢地域では羽根木公園、赤松公園に次ぐ大きさの公園となります。
吉良氏の居城だった世田谷城
世田谷城は、室町時代に世田谷で所領を持っていた吉良氏(奥州吉良氏)の居城でした。
吉良氏は、室町幕府の将軍家である足利家の支族という名門の家系であり、三河国吉良荘に所領を持っていたことから、吉良姓を名乗りました。赤穂浪士で知られる吉良上野介(吉良義央)は、この三河吉良本家の家系です。
世田谷の吉良氏は三河本家から別れた分家であり、室町時代には鎌倉公方に仕えて活躍しました。世田谷城は、貞治5(1366)年に築城されたとも言われていますが、正確な築城時期は不明です。応永年間(1394年~1428年)の1400年頃までには整備されたと考えられています。
豊臣秀吉による小田原征伐時に、当時の城主・吉良氏朝が上総国に逃れたため、世田谷城は廃城となりました。
現在の豪徳寺付近に本丸
世田谷城があったと考えられている場所は、現在では開発が進んだため正確な範囲はわかっていません。
現在の豪徳寺の付近に本丸があったと考えられており、吉良氏館があったと推測されています。この豪徳寺付近を北端として、現在烏山緑道が通る付近が南東端、現在の宮の坂駅付近が西端であったのではないかと考えられています。
世田谷城は、武蔵野台地に位置しており、南方に突き出した形の舌状台地の先端に位置し、北側は谷、その他の3方は川(烏山川)に囲まれた要害の地となっていました。
豪徳寺の南側に隣接する世田谷城阯公園は、城の南東端付近だったと考えられる場所にあります。城が攻められた際に籠もる詰城の役割があった場所とみられており、土塁や堀で守られていました。
土塁や空堀が世田谷城を偲ばせる
かつての世田谷城を偲ばせる遺構としては、土塁や空堀が残っています。石垣も整備されていますが、これは公園の整備時に構築されたもので、かつての城の石材は江戸城改修の時に使われたと言われています。
公園の中央には空堀が南北に通っており、公園を東側と西側に分けるような形となっています。東側には、石垣などかつての城郭を思わせる遺構が整備されており、丘や谷で城らしい起伏に富んだ形状となっています。
中央の空堀には小さな橋もかかっています。西側には土塁などの遺構に加えて、子どもたちが遊べる遊具も整備されており、公衆トイレも設置されています。
最寄りは宮の坂駅
鉄道での最寄り駅は、公園の西側にある東急世田谷線の「宮の坂」駅となり、徒歩約5分の距離です。公園南側の世田谷線「上町」駅からも同じぐらいの距離となります。小田急・小田原線の「豪徳寺」駅からは徒歩15分ほどの距離です。
駐車場は併設しておらず、付近も住宅街となっているため、コインパーキングも多くはありません。公園東側にある世田谷区役所からは徒歩10分圏内にあり、北の豪徳寺方面や西の宮の坂駅方面よりは、東側の方が区役所や南側の世田谷通り方面の方が、駐車場は見つかりやすいかも知れません。
住所: | 東京都世田谷区豪徳寺2-14-1 |
郵便番号: | 154-0021 |
電話番号: | 03-5431-1822 |
鉄道1: | 東急世田谷線 宮の坂駅 徒歩5分 |
鉄道2: | 東急世田谷線 上町駅 徒歩5分 |
スポット名: | 世田谷城阯公園 |
よみがな: | せたがやじょうしこうえん |
料金: | 入園は無料。 |
定休日: | 無し。 |
築年: | 1940年 |
駐車場: | 無し |

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